故人サイト(古田雄介)
この本には、持ち主の死亡によって更新が停止されたサイト、ブログ、facebookやtwitterページのログの記録が80例ほど、ご遺族により継続して更新している例も含めると103の実例が紹介されています。
見開き1ページには、そのコンテンツの種類の紹介(旅行ブログ、趣味、闘病記あるいは自殺までのカウントダウン)、投稿ペースや文章から推測される書き手の性格・環境の考察、死因、死の直前の一連の書きこみがコンパクトかつ詳細に記してあります。けして飾った文体ではありませんが、引き込まれる魅力があり、200ページを読み終えた後は自分のすぐそばにコンテンツの書き手がいるような気にさせられます。でも、書き手の彼や彼女はもうどこにもいないんですね。
また、遺されたブログが故人を偲ぶ「モニュメント」として機能している場合もあると注目されています。
これはブログの記事などにまだアクセスできる場合に、その人のファンや親しい人が故人に語りかけるような書き込みができるということです。
私の知っている限りの例でいえば、タレントの上原美優さん(現在は削除。関連記事)のブログの最後の投稿には、毎日のようにファンが書きこんでいたと記憶しています。
ただ、画像認証付きの記事であっても業者による脈絡のない宣伝コメントが付くことも多いようで、この件に関してはP.125の匿名読者さんが
「このような日記に不適切な書き込みをした者たちが、自らを振り返り慚愧に堪えないと振り返っていると信じています。」
と、仰る言葉が、ご遺族の方の心情を代弁していると思います。
それから、章の間のコラムには、何らかの理由により更新がなされなくなったサイトや過去ツイートのサルベージ方法や、なぜスパムコメントが付くのかということ自体も簡単に説明されていたので、その辺に疎い私にとっては勉強になりました。
「亡くなられた方の作ったネットコンテンツ」に着目し、著名人から一般の方まで網羅し、体系的にまとめられた本というのはこれが初めてかと思うので、ぜひおすすめしたいです。
***
くも膜下出血で亡くなったntmPさん(togetter)、熱中症で具合が悪くなったと思われたが実際は脳卒中で亡くなった月餅さん(ネット記事)の顛末はネットで読めます。病状が明らかに悪くなっていくさまが克明に記されていますが、「実況なんかしていないで、病院に行ってほしかった」というのが本音です。
今年は漫画家の藤原ここあさん、ボカロPの椎名もたさん、そして水木しげるさんといった、私のよく知る文化圏の人々が鬼籍に入られた年でした。
訃報を聞くたびに、あまり知りもしない相手だというのに、何かしらのよすがを求めて故人のアカウントを訪れたくなります。
実家です。恐ろしい程の田舎でしたが景色だけは美しかった。こことももう明後日でお別れです。 pic.twitter.com/U1nXI8mRSd
— 藤原ここあ☆2巻発売中☆ (@cocoafujiwara) 2015, 3月 25
大人になったから魅力がなくなった、と。 大人になってはいけないらしいですね
— 椎名もた (@siinamota) 2015, 7月 23
けれどそういった行為にどこか後ろめたさを感じてしまい、誰にも言えませんでした。
しかし、この本の冒頭や巻末、著者のブログに書いてある言葉に勇気づけられました。
死はインターネットで学べる。
知ることは後ろめたいことではない。
大切にするということは、腫れ物扱いすることではない。――心からそう思うのです。
身近な死が薄れている今の時代、節度を守りさえすれば(すなわち無暗に書きこんだりしなければ)、インターネットで死について知ることはけして悪いことではない。むしろテキストのみの情報が多い分、純粋に心の部分を揺り動かされるのかもしれません。
この「故人サイト」の感想文が本ブログの最初のエントリです。
この本が「ちゃんとしたブログを書こう」という最後の後押しになりました。
今度、月餅さんの桃水羊羹レシピを試したり、二階堂奥歯さんの『八本足の蝶』を読んだりしたいです。
人は誰しも死にます。けれど、死ぬまでの間を彩ること、それが生きることなんでしょう。
以下、大好きな本の一つ、『西の魔女が死んだ』より。
魂は身体をもつことによってしかものごとを体験できないし 体験によってしか、魂は成長できないんですよ。
ですから、この世に生を受けるっていうのは魂にとっては願ってもないビッグチャンスというわけです。
成長の機会が与えられたわけですから。
お読みいただきありがとうございました。 それでは、ごきげんよう。